私の父は、航空自衛隊の戦闘機のパイロットでした。
父が那覇基地勤務中に私は、自衛隊那覇病院で生まれました。
私の父は、不幸にも飛行訓練中に殉職しました。
父が殉職した後は、母の実家である福岡に帰り、小学校から高校まで過ごしました。
女手一つで母は私を育ててくれましたが、私は途中でグレたり不登校になったりとしていました。
高校3年生の時、自衛隊の地方協力本部の方が自宅を訪れました。
「自衛隊に入隊しないか」という誘いを受け、色々と相談しているうちに「父のような戦闘機パイロットになりたい」という想いを抱きました。
自衛隊の航空学生を受験し、自衛隊のパイロットの卵として入隊。
確かに航空学生の2年間は、非常に厳しいものでありましたが、「やる気・元気・負けん気」の気持ちで乗り越えたことは、私の精神的基盤になり仲間との絆が生まれたと思っています。
パイロット学生をやっているうちに、父のような脱出したパイロットを救いたいと救難ヘリを希望
救難ヘリパイロットとして、宮城県松島基地、沖縄県那覇基地勤務、空輸ヘリコプターパイロットとして福岡県春日基地、沖縄県那覇基地で勤務をし、日夜、国民・県民・市民のため訓練と任務に邁進してきました。
18年間も続けてやってきた安定した職業である自衛隊のヘリコプターパイロットの地位を捨てて政治の道へ進んだのか?
それは東日本大震災がきっかけです。
私は、宮城県での勤務もあったため、被災前と被災後の姿を知っている私だけに、地震と津波の恐ろしさと恐怖は、テレビ以上のものを現場で見ました。
沖縄県・那覇市はどうでしょうか?
ご存知のように沖縄県も過去に大きな地震が発生しています。
本当に今ままでいいのか未来ある那覇市を作らなければならないのではないか?
そう思い政治の道で頑張ろうと思いました。
元自衛官として「防災」で一人でも多くの人が助かるように!
1歳児をもつ父親として「子供への環境」そして未来ある日本を作る子供達が夢が持てるように!
さらに、母子父子家庭の子供の受け皿を!
私の実体験を基盤にして、那覇市が更なる飛躍をするように市民のみなさんと共に頑張っていきます。
那覇市市議会議員 大山たかお