目次
はじめに
6月23日を迎えることができました。
ご存知のように6月23日は、第32軍司令部であった牛島満中将が自決をし、沖縄戦において組織的戦闘が終結した日です。
しかしながら、組織ではない各個人における戦闘は、6月24日以降も長い間あったそうです。
皇室でも「忘れてはならない4つの日」というものがあり、その中のひとつは6月23日の「沖縄慰霊の日」という事でした。
忘れてはならない4つの日
- 毎年6月23日 沖縄慰霊の日
- 毎年8月6日 広島原爆の日
- 毎年8月9日 長崎原爆の日
- 毎年8月15日 終戦記念日[全国戦没者追悼式]
戦争体験者の話(1人目)
私は、その他にも色々な方の戦時中のお話を録画させていただいております。
色々な文献もありますが、自ら1次情報を足を運び記録として残すようにしています。
そのことによって、自分の理想に「会うから」「会わないから」ではく「その方が迎えられた現実」を捉えていきたいと思ったからです。
今後も更に資料を集めるべく、短い時間でも構いませし、情報の公開や非公開についてもご協力をいたしますので、誰かをご紹介いただければと思います。
1人目 1話 21:08
1人目 2話 18:36
1人目 3話 24:42
1人目 4話 28:55
戦争体験者の話(2人目)
2人目 1話 14:06
2人目 2話 12:03
2人目 3話 15:18
2人目 4話 15:30
2人目 番外編 15:18
遺骨収集
コロナ前は遺骨収集をさせていただきました。
まだまだ回収できていない御柱もございますので、是非とも皆様もご尽力をいたしていただければと思います。
鉄血勤皇隊・学徒隊
戦前、沖縄には21の中等学校がありました。沖縄戦では、これらのすべての男女中等学校の生徒たちが戦場に動員されました。女子学徒は15歳から19歳で、主に看護活動にあたりました。男子学徒は14歳から19歳で、上級生が「鉄血勤皇隊」に、下級生が「通信隊」に編成され、鉄血勤皇隊は、軍の物資運搬や爆撃で破壊された橋の補修などにあたり、通信隊は、爆撃で切断された電話線の修復、電報の配達などの任務に従事しました。沖縄戦により、学業半ばで多くの学徒が短い生涯を散らしました。(沖縄県ホームページより)
1 沖縄師範学校男子部(師範鉄血勤皇隊)
2 沖縄県立第一中学校
(一中鉄血勤皇隊・一中通信隊)
3 沖縄県立第二中学校
(二中鉄血勤皇隊・二中通信隊)
4 沖縄県立第三中学校
(三中鉄血勤皇隊・三中通信隊)
5 沖縄県立農林学校(農林鉄血勤皇隊)
6 沖縄県立水産学校(水産鉄血勤皇隊・水産通信隊)
7 沖縄県立工業学校(工業鉄血勤皇隊・工業通信隊)
8 那覇市立商工学校(商工鉄血勤皇隊・商工通信隊)
9 開南中学校(開南鉄血勤皇隊・開南通信隊)
10 沖縄県立宮古中学校(宮古中鉄血勤皇隊)
11 沖縄県立八重山中学校
(八重山中鉄血勤皇隊)
12 沖縄県立八重山農学校
(八重農鉄血勤皇隊)(八重農(女子)学徒隊)
13 沖縄師範学校女子部(ひめゆり学徒隊)
14 沖縄県立第一高等女学校(ひめゆり学徒隊)
15 沖縄県立第二高等女学校(白梅学徒隊)
16 沖縄県立第三高等女学校(なごらん学徒隊)
17 沖縄県立首里高等女学校(瑞泉学徒隊)
18 沖縄積徳高等女学校(積徳学徒隊)
19 昭和高等女学校(梯梧学徒隊)
20 沖縄県立宮古高等女学校(宮古高女学徒隊)
21 沖縄県立八重山高等女学校
(八重山高女学徒隊)
みなさまも「ひめゆりの塔」は足を運んだことがある。又はご存知の方も多いのではないでしょうか?
平和記念公園にも「全学徒隊の碑」があります。
その他にも慰霊碑もありますので、ご紹介させていただきます。
「殉国沖縄学徒顕彰75年祭」を沖縄県護国神社でおこないましたので以下の動画ですが、祭文奏上の部分のみご覧ください。
大戦の遺品収集
遺品も収集し護国神社へ奉納しています。分からないものであったとしても、送ってもらえれば護国神社等に奉納しようと思います。
まとめ
これまでの資料のように、私が歩いているだけで「沖縄戦は未だ続いています」。
さらに、陸上自衛隊が担っている「不発弾処理」なども継続的に行っています。
これから、どのように国として戦争を起こさずにやっていくのか。
「感情的論争」も必要ではないとは申しませんが、「現実的な平和主義」を追求していかなければ、真実の平和を求める気はしません。
戦争とは「日本」だけでなく「相手(外国)」の都合でも始まってしまうのです。
「自己都合」では戦争反対でも、「相手都合」で「戦争が始める」ことも見つめなければならないと思います。
私は「ないちゃー(本土の人)」と呼ばれ「沖縄戦を知らない」ということを言われました。
そこで、残りの人生を沖縄のために尽くすんだ。
そのためには「うちなーむーく(沖縄に婿入り者)」として、だれよりも沖縄県のことを知りたいと思いました。
その結果、死に物狂いで沖縄戦のことを学びましたが、未だに学んでいる途中です。
私にとって沖縄に関する知識はどれだけ体を動かしても全く足りていません。
どうか皆様の私に対するご尽力を引き続きいただけますようお願い申し上げます。
大山たかおSNS
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